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zoom RSS 北方領土と大陸列強の陣取り合戦(その1)

<<   作成日時 : 2010/11/17 00:36   >>

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 尖閣のごたごたの最中に訪中したメド氏が「北方領土はうちのもんだかんね」宣言をして、こないだついに国後に行っちゃったわけですが。

 考えてみたら、国境の陣取り合戦というのは、有名どころでは「最後の授業」のアルザス・ロレーヌ地方の独仏の綱引きとか、第二次世界大戦後、ソ連主導で行われたドイツ人追放とか、それに絡んだポーランドの回復領、なんてのもあります。
 アルザス・ロレーヌ地方については、土着民族のアルザス人はそのままでその帰属がフランスかドイツかどっちになるんだ、という問題だったので(しかもwikipediaの「最後の授業」の項目見ると、遠因は「30年戦争」の結果のウェストファリア条約だったりする)いささか状況は違うんですが、北方領土に関して言えば、状況はむしろ「ドイツ人追放」とか「回復領」と同じパターン。つまりそこに住んでたドイツ人をほとんど追い出してポーランド人を入れたりしてたわけです。

 このとき、つまり第二次世界大戦終結時には、どうやらソ連(というかスターリン)は西暦960〜1025年ごろの国境線をソ連とポーランドとドイツの国境線にしたいという思惑だったらしく、それはまたポーランド人の民族意識に非常にマッチしてたので、ある程度ソ連に東側の国土を割譲しても、ドイツ領から取れるので良しとしたようです。
 ポツダム会談でポーランドと東ドイツの国境線は「オーデル・ナイセ線」となり、1950年に「ズゴジェレク条約」がポーランドと東ドイツで締結されました。壁崩壊後、東西ドイツは統一ドイツになり、そのとき統一ドイツというか旧西ドイツ政府はこのズゴジェレク条約をどう扱うかが注目されたようですが、結局それまでのいろんな流れから1990年の「ドイツ・ポーランド国境条約」で「オーデル・ナイセ線」で決定したわけです。

 で、北方領土。
 まず現状としては「ドイツ人追放」同様に、日本人は追放されました。別の言い方をすると、軍は8月に降伏後、武装解除の上シベリア抑留、1946年にGHQとモスクワの間で、足止めしていた日本国民全員の本土帰還が取り決められ、1949年に完了しました。日本国籍を離脱した旧植民地の人は帰還が認められなかったらしい。
 
    それで、第二次世界大戦前はどうだったかというと、
  • まず1855年(安政元年)に日露和親条約(下田条約、日露通好条約)が締結して、択捉島まで日本領になりました。ちなみに、ロシア語、オランダ語、日本語、中国語の4バージョンがあり、日本語版と、ロシア語&オランダ語版に違いがあるそうです。で、4カ国語版全部が有効だそうです。
  • 1875年(明治8年)にいわゆる「樺太・千島交換条約」が結ばれました。ところがwikipediaによると、条約正文はフランス語で、日本語バージョンは条約として効力を持ってない、とあります。おいおいおいおい、そんな話聞いたことなかったよ、ってなもんです。

     千島列島についての定義、どこからどこまでの島が「千島列島」かが非常に微妙。日本側は千島列島は「北千島」4島、「中部千島」17島、「南千島」が2島。ここから南側は千島じゃない、色丹島+歯舞諸島7島は別物だ、と現在言ってるようです。
    しかも千島の帰属についてもどうやら正文が非常に微妙。日本語訳は日本にどうやら有利に訳されてるっぽいです。

  • で、1951年のサンフランシスコ講和条約で千島列島の領有権を日本は放棄しました。しかしソ連はこれに署名してないので、ここから宙ぶらりんが酷くなります。
  • 実は鈴木宗男議員の「平成十八年二月十五日提出 質問第七三号 千島列島の範囲に関する質問主意書」を頼りに探し出したんですが、昭和26年の衆議院外務委員会での議事録によると、こんな問答があります。

    ([006/008] 12 - 衆 - 平平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号 昭和26年10月19日 184〜190号発言)

    ○高倉委員 本会議また昨日の委員会を通じまして、いろいろと條約問題につきまして質問がなされておりますので、われわれの言わんと欲することも大方言い盡されているような次第であります。実は二十四日に大体質問をする考えでおりましたし、本日は総理もお疲れのことと思いますから、頭を冷静にされてからお聞きした方がむしろいいかと思いますので、簡潔に二、三御質問申し上げたいと思います。
     まず領土の問題でありますが、過般のサンフランシスコの講和條約の第二條の(C)項によりますると、日本国は千島列島の主権の放棄を認められたのである。しかしその千島列島というものはきわめて漠然としておる。北緯二五・九度以南のいわゆる南西諸島の地域の條文におきましては、詳細に区分されておるのでありまするが、千島列島は大ざつぱではつきりしていないのであります。そこで講和條約の原文を検討する必要があります。條約の原文にはクリル・アイランド、いわゆるクリル群島と明記されておるように思いますが、このクリル・アイランドとは一体どこをさすのか、これを一応お聞きしたいと思います。

    ○吉田国務大臣 千島列島の件につきましては、外務省としては終戰以来研究いたして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。

    ○西村(熊)政府委員 條約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまつたくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。あの見解を日本政府としてもまた今後とも堅持して行く方針であるということは、たびたびこの国会において総理から御答弁があつた通りであります。
     なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました。しかしながらその点を決定するには、結局国際司法裁判所に提訴する方法しかあるまいという見解を述べられた次第であります。しかしあの見解を述べられたときはいまだ調印前でございましたので、むろんソ連も調印する場合のことを考えて説明されたと思います。今日はソ連が署名しておりませんので、第二十二條によつてへーグの司法裁判所に提訴する方途は、実際上ない次第になつております。

    ○高倉委員 このクリル群島と千島列島を同じように考えておられるような今のお話でありますが、これは明治八年の樺太・クリル交換條約によつて決定されたものであつて、その交換條約によりますと、第一條に、横太全島はロシヤ領土として、ラペルーズ海峡をもつて両国の境界とする。第二條には、クリル群島、すなわちウルツプ島から占守島に至る十八の島は日本領土に属す。カムチヤツカ地方、ラパツカ岬と占守島との聞なる海峡をもつて両国の境とする。以下省略しますが、こういうふうになつておる。この條約は全世界に認められた国際的の公文書でありますので、外務当局がこのクリル群島というものと、千島列島というものの翻訳をどういうふうに考えておられるか、もう少し詳しく御説明を願いたいと思います。

    ○西村(熊)政府委員 平和條約は一九五一年九月に調印いたされたものであります。従つてこの條約にいう千島がいずれの地域をさすかという判定は、現在に立つて判定すべきだと考えます。従つて先刻申し上げましたように、この條約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。但上両地域について歴史的に全然違つた事態にあるという政府の考え方は将来もかえませんということを御答弁申し上げた次第であります。

    ○高倉委員 どうも見解が違いますのでやむを得ないと思いますが、過般の講和会議においてダレス全権が、歯舞、色丹諸島は千島列島でない、従つてこれが帰属は、今日の場合国際司法裁判所に提訴する道が開かれておると演説されておるのであります。吉田全権はそのとき、千島列島に対してもう少しつつ込んだところの―歯舞と色丹は絶対に日本の領土であるとは言つておられますけれども、国際司法裁判所に提訴してやるというまでの強い御意思が発表されていなかつたようでありまするが、この問題に対しまして、ただいまあるいは今後も、どういうようなお考えを持つておられるかということについてお伺いします。

    ○吉田国務大臣 この問題は、日本政府と総司令部の間にしばしば文書往復を重ねて来ておるので、従つて米国政府としても日本政府の主張は明らかであると考えますから、サンフランシスコにおいてはあまりくどくど言わなかつたのであります。しかし問題の性質は、米国政府はよく了承しておると思ひます。従つてまたダレス氏の演説でも特にこの千島の両島について主張があつたものと思います。今後どうするかは、しばらく事態の経過を見ておもむろに考えたいと思います。これは米国との関係もありますから、この関係を調節しながら処置をいたす考えでおります。

     これに先んじて、昭和25年03月08日の衆議院外務委員会7号議事録にあたると、浦口鉄男議員と、当時の島津久大政策局長、西村熊雄条約局長の答弁が出てきます。
    ○浦口委員 たいへん時間が迫つておるという委員長のお話ですので、簡單に明瞭に御質問いたしたいと思います。
     千島諸島の帰属問題について、二、三御質問申し上げたいと思います。もちろん島嶼の帰属につきましては、講和條約に際しまして、連合軍が決定するところではございますが、しかし一応われわれ国民といたしましては、その島の法的にあるべき姿をはつきりとつかんでおくことが、たいへん必要だと考えるわけであります。実は去る二月一日の外務委員会におきまして、島津政務局長は、ヤルタ協定の「千島」という呼称については不明確で、確定する方法がない、こういう発言をされておりますが、しかしそのあとで、しかし南千島と北千島の違いは実在する、こういうふうに御答弁になつております。そういうことから申しましても、ヤルタ協定の問題はあとで申し上げることにいたしまして、まず千島列島という呼称は、一体どういう島々を千島と言うのかということを、一応お聞きしたいと思うのであります。(中略)。一般に千島列島と申されておりますが、その中のハボマイ諸島とシコタン島、クナシリ島、エトロフ島等の島々は、非常に早くから北海道本島に属しておりまして、根室の国と、こう呼ばれております。そしてエトロフ島以北のカムチヤツカ半島に至る十八の島々が、いわゆる千島の国と、こういうふうに呼ばれておるのであります。それでそのエトロフ島以南の、すなわちエトロフ島から南部の島々は、徳川幕府の初めから、日本人が住んでおりまして、三百有余年の長きにわたつて、父祖代々相次いで漁業に従事していたというのが、島の歴史上の明らかな事実であります。そのことは一八五四年、安政元年に、帝政ロシヤと締結をいたしました神奈川條約、一名下田條約とも言われておりますが、これによつても明らかにされておるのであります。すなわちその第二條に、「今より後日本国とロシヤ国との境は、エトロフ島とウルツプ島との間にあるべし、エトロフ島全島は日本に属し、ウルツプ島全島とそれより北方クリル諸島はロシヤに属し、樺太島に至りては日本国とロシヤ国との間において境界を設けず、これまでのしきたり通りたるべし。」こういう一條があるのであります。これはわれわれの解釈によりますと、今まで不明確であつたロシヤと日本の境をはつきりしたと解釈できると思うのであります。しかもその後いろいろ樺太の所有問題についてトラブルがありましたので、一八七五年の五月、明治八年にわが国の全権榎本武揚がロシヤにおもむき、千島・樺太交換條約というものを締結した、こういうことも当然御承知と思うのでありますが、その第二條には、「クリル全島すなわちウルツプ島よりシユムシユ島に至る十八の島々は日本領土に属し、カムチヤツカ地方、ロパトカ岬とシユムシユ島との間なる海峡をもつて両国の境界とす。」こういう一條があるのであります。この二つの條約から照しまして、明らかにわれわれは、ここに千島列島という名で呼ばれる部分は、少くともエトロフ島とウルツプ島との間の千島水道と言われる以北が、いわゆる千島列島と呼ばれるものである。その以南は先ほど申し上げましたように、いわゆる北海道本島に属する根室の国の一部である。こういうふうに考えてしかるべきであると思うのでありますが、その点についてまず見解をお聞きしたいと思います。

    ○島津政府委員 ヤルタ協定の千島の意味でございますが、いわゆる南千島、北千島を含めたものを言つておると考えるのです。ただ北海道と近接しておりますハボマイ、シコタンは島に含んでいないと考えます。

    ○浦口委員 そういたしますと、一八七五年、明治八年の千島、樺太交換條約と非常に矛盾して来るのでありますが、先ほど申し上げましたように、この第二條では、クリル全島、すなわちウルツプ島よりシユムシユ島に至る十八の島々、こういうふうに北千島というものに対してはつきり第二條で定義されておるのでありますが、その点はいかがですか。

    ○島津政府委員 北千島の定義がそのようになつておるものと考えます。千島の定義につきましては、いろいろな経緯、歴史もあるわけでございますが、ただいま問題になつておりますヤルタ協定でいわゆる千島というものを先ほど私解釈したのでありますが……。それで御了承を願います。

    ○浦口委員 私の承知するところでは、北千島、南千島というのはいわゆる下田條約と千島・樺太交換條約、この二つの條約によつてこういう俗称が出たと考えておりますので、公文書の上では南千島、北千島の差はないというふうに承知いたしておりますが、何かそういう公文書の上で明示されたものがあるならば、お知らせ願いたい。

    ○西村(熊)政府委員 それは一九四六年の一月二十九日付の総司令官の日本政府にあてたメモランダムでありますが、例の外郭地域を日本の行政上から分離するあの地域を明示された覚書であります。その第三項の中に「千島列島・ハボマイ諸島及びシコタン島」とございます。いわゆる南千島と北千島とを合せて千島列島という観念で表示してあります。

    ○浦口委員 その條項も私は実は調べたのでありますが、島津條約局長のおつしやるように、ザ・クリル(千島)アイランズと、こうなつております。そうなりますと、先ほど申し上げました千島・樺太交換條約の第二條にはクリル全島、こういうことになつておりまして、それはいわゆる下田條約による千島水道以北であるということは、はつきりするのであります。従つてその千島水道以南のエトロフ、クナシリ――シコタン、ハボマイはもちろんでありますが、これはは当然含まれない。こういう解釈が明らかになるのでありますが、その点いま一応御答弁願います。

    ○西村(熊)政府委員 御質問の趣旨がよくわかりませんので、もう一度お繰言返し願いたいと思います。私は政務局長とまつたく同意見ではございますが、……。

    ○浦口委員 そうしますと、もう一度話が元へ返るようになるのでありますが、実は下田條約では、今より後日本国とロシヤ国との境は、エトロフ島とウルツプ島との間にあるべしという一條があるわけです。これによつて條約上初めて日本とロシアの境がきまつたわけです。ですからエトロフ島以南、すなわちエトロフ、クナシリ以南の島は当然もう日本国としてはつきりきまつていた後において、千島・樺太交換條約によつて、クリル全島すなわちウルツプ島よりシユムシユ島――ウルツプ島というのはエトロフとの境でありますが、下田條約によつてすでに日本と決定されたその以北、いわゆるウルツプ島以北がクリル全島、こういう呼称で呼ばれているのであります。そうでなければこの條約の文章が成立たないのであります。

    ○西村(熊)政府委員 その條約の條文を持ちませんので、確とした自信はございませんが、今繰返された文句によれば、例の明治八年の交換條約で言う意味は、いわゆる日露間の国境以外の部分である千島のすべての島という意味でございましよう。ですから千島列島なるものが、その国境以北だけがいわゆる千島列島であつて、それ以南の南千島というものが千島列島でないという反対解釈は生れないかと思います。

    ○浦口委員 私はどうもそれがよくわからないのであります。もう一度詳しく申し上げたいのですが、時間がありませんので、外務省の方で御研究願いたいと思います。この次にまた見解を発表していただきたいと思います。
     それでは引続いてそういうことからいたしますと、実はその前にポツダム宣言及びその根拠たるカイロ宣言については、すなわち第一次世界戰争以後において日本が奪取し、または占領した一切の島嶼を剥奪すること、日本国はまた暴力及び貧欲により、日本国が略取しだる他の一切の地域より駆逐せらるべし。この條項は千島――一応それを南千島、北千島とわけてお話してもよろしいのですが、その両方ともこれには該当しない、そういうふうに考えるのでありますが、その点いかがでありますか。

    ○西村(熊)政府委員 もちろんそう考えます。従つてヤルタ協定の文句も特にハンド・オーヴアー――引渡すという字を使つております。南樺太は返還すべしという用字が使つてあるにかかわらず、千島列島につきましてはハンド・オーヴアー――引渡すという違つた用語が使つてあります。その辺を考慮した上での條文かと私どもは了解しております。

    ○浦口委員 そうなりますと、南と北の問題は別といたしまして、クナシリ、エトロフ、ハボマイ諸島、シコタン島から強制的に引揚げなければならなかつた、その間の理由はどういう理由によるか、その点お伺いします。

    ○西村(熊)政府委員 今度の戰争後におきまして、連合国の日本及びドイツに対します政策の一つといたしましては、日本人及びドイツ人は将来における国境の内部に全部移住させるという政策がとられたようであります。従いましてドイツについても同じでございますが、日本につきましては、日本軍の占領地域ないしは日本の行政下の管轄の外に置かれました領域に在住しておりました邦人も、全部いわゆる強制引揚げということになつたわけでございまして、その一環として、千島における在留民も、本国へ帰らざるを得ないことになつたのでございます。

    ○浦口委員 われわれはこの千島列島、ハボマイ諸島、シコタン島におる住民は、連合軍の保障占領下に生業を営み得る立場にある、こういうふうに一応考えるのでありますが、その点いかがでございますか。

    ○西村(熊)政府委員 言い分云々は別といたしましても、おつしやるようなことを熱望いたしておるわけでございます。ことにハボマイ、シコタンについては、強くそれを熱望せざるを得ないわけでありますが、事実上それはまだ許されていない事態にあると御了解を願いたいと思います。

    ○浦口委員 当然たいへん困難だという事情もよくわかるのでありますが、熱望しておるということで了承することにいたします。(中略)――たいへん答弁がむずかしいように察しますので、こういうふうにお聞きします。それはいろいろ文献や歴史によつて、国民が主張し、陳情することは自由である。しかしそれ以上、政府としては正式にこれに対してどうこうすることはできない、こういうお考えでありますか、どうですか。

    ○島津政府委員 たいへん御同情のある御質問でございます。政府としてできることはいたしておるのでございます。ただ領土の問題は、非常に機微な関係がございまして、また決定する立場にも、もちろんないわけであります。陳情その他が国民の間から出ますことについては、政府としても何とも申し上げられないのであります。非常に機微な関係もございまして、答弁を差控えさしていただきたいと思います。

    ○浦口委員 希望を申し上げておきます。こういう運動がどんどん熾烈になつて来るということは、現地の事情で非常にしみじみと感じられますので、それにつけても少くとも南千島、北千島の問題については、外務省当局も、そういう輿論を支持する、しないは別といたしましても、もし誤つた根拠に基いてそういう運動が盛んになるということであるならば、われわれとしても、その熱情は買うとしても、国際の問題、ひいては日本の将来に及ぼす問題が非常に大きいと思いますので、もう一段御研究を願いたい。こう希望いたしまして、私の質問を打切ります。

     というところで、上の議事録、最初に書いたのはサンフランシスコ講和条約締結直後、次に書いたのは講和条約直前。そして締結後の2回目、国会での批准承認に関係した参議院での議事録の記録があります。
    参議院  平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第11号 昭和26年11月06日

    ○川榮一君 私はこの第二章の領域に関する講和條項に関しまして、国民的な感情を一応申述べて、更にこれに対しまする政府の御所見を伺つて見たいと思います。この第二章の領域に関しまするいわゆる日本領土の割讓の條項は、敗戰国日本に対しましては、公正であり寛大であるとは言われておりまするが。この領域に関する限りは、私は懲罰的であり、報復的であり、或いは復讐の意図も包蔵しているかのように感ぜられますことは誠に遺憾千万に堪えないのであります。(中略)
     私どもは是非この(c)項以下のものにつきましては、再検討を加える時が来ることを非常に期待するものであります。特に申上げたいことは、これらの(b)項以下(c)項、(f)項に至ります項目に対しましては、日本の領土権を放棄させることを規定しておりまするが、その放棄しましたこれらの地域は、その主権がどこにあるかということがはつきり書いてないのでありまして、恐らくこれは国際連合に帰属するものであるか、或いは連合国に帰属するものであるか、或いは連合国中この平和條約に署名し批准した国のいわゆる国家群にこれが帰属するものでありますか等は、少しも私どもにはわからないのであります。勿論放棄しました以上は、これらに対してかれこれ言うべき筋ではありませんが、先般来申上げましたように、我々国民として今日自省反省を重ねておりまして、民主的に徹底した国民であるとみずからも信じ、又世界もこれを認めつつあるときに、これらの條項に対する放棄したところの主権の存在がどこにあるかはつきりしておらない。これはその主権の帰属はどこに行くのでありますか、伺いたいのであります。
     更にこの講和條約を批准しないところのもの、或いはこれに参加しないところのものが関係しておりまして、これらの国々がこれらの條項の地域を占拠しておる事実であります。将来日本とこれらの占拠しておる国々との間に講和條約が荏苒延びまして、締結の見通しが付かないような状況に相成りましたときに、これらの帰属はどうなるものでありましようか。或いはそういうような場合に、仮にこれが国際連合の下に帰属するものであるといたしまするならば、これを占拠して長く日本と講和を結ばないような国々との関係はどうなるのでありましようか、これも伺いたいのであります。この御答弁を伺いましてから、更に御質問申上げたいと思います。

    ○政府委員(草葉隆圓君) 御質問の第一点は、ここに第二條において領域を決定することに我々は承認するが、将来はどうするかという問題でございまするが、今回のサンフランシスコ会議におきまして、この平和條約を承認いたし、又連合国も共々に承認いたしました以上は、日本はこの條約を将来嚴守して参る勿論確信を持つて承認をいたした次第であります。第二の帰属の問題が未決定であるではないか。お説の通りであります。併しこれは連合国間、関係国間において話合が付かなんだから、未決定のまま日本は領有権、いわゆる権利、権原、請求権を放棄したという形になつておりまして、これらの帰属のことにつきましては、関係国間において将来決定されるものと存じております。又現在署名をしなんだ国で占領をいたしておる国、この問題についても将来どうなるか。千島の問題につきましては、千島の範囲についての問題がお話の問題に該当する点であると存じますが、その範囲につきましては、結局具体的になりますると、歯舞、色丹の問題になつて参りまするが、歯舞、色丹につきましては、前々から申上げております通りに、日本政府はこれは千島の範囲外である、北海道の一部であると、固くこの点をはつきりとそういう主張を持つておるのであります。又現実においてもそうである。従つて問題の帰着は、歯舞、色丹の占領という問題に帰するわけでございますが、この問題につきましては、将来、昨日もお答え申上げましたように、でき得るだけの方法を以ちまして、日本政府の主張、国民の主張が了解されるように努力をいたして参る予定をいたしておる次第であります。

    これがなぜか、1956年2月11日の外務委員会でひっくり返る。
    衆議院 外務委員会 第4号 昭和31年02月11日

    ○池田(正)委員 実は私この委員会ははなはだ不勉強で、たまたま参りまして質問を許していただきましたが、野党の諸君の御同情によりまして簡単に質問をさせていただきます。
     まず私からお尋ねいたしたいことは、昨年以来のロンドンにおける日ソ交渉は、回を重ねること二十回、ここで明瞭になって参りましたことは、つまり領土の問題、この日ソ交渉の何と申しましてもポイントであり山となる領土の問題に関しまして、ソビエト側から公式に歯舞、色丹だけは返してもよろしいということを明確にして参りました。ところでけさのロンドン電報によりますと、ソビエト側はこれを返還するという言葉を使わないで、特に譲渡といい言葉を使っておる。このことは、われわれ日本人として、軽く聞き流すわけには参りません。これについて一体外務当局は、譲渡という言葉を使っておるソ連の意図が那辺にあるとお考えになるか、そしてこれでいいのか、このことについて一言お尋ねいたしたいと思います。

    ○森下政府委員 歯舞、色丹をそういうふうに考えてはおりません。歯舞、色丹は、元来これは歴史的にもそういう何ものもないのでございます。これは北海道の一部とも考えておるのでございますから、断じてさようなことはございません。

    ○池田(正)委員 政府はつまり譲渡という言葉では承服できない、あくまでも日本の領土であるから、返還を要求するという建前を堅持するというふうに了解いたしてよろしいのでありますね。

    ○森下政府委員 さようでございます。その通りでございます。

    ○池田(正)委員 それならば私も了承いたします。
     そこで問題は、わが日本国といたしまして、ソビエトに要求しているのは歯舞、色丹だけではなしに、南千島というものをはっきり要求しておるはずであります。しかるにソビエト側は歯舞、色丹だけ、そして南千島のいわゆる択捉、国後については、何らこれに言及しておらぬ。これに対して政府は、歯舞、色丹だけでがまんしようとするのか、南千島をも返還するのでなければがまんはできない、あくまでもこれを強硬に主張しようとするのか。私はこの際これをはっきりさせておきたい。それは何となれば、国内のいろいろの説を見ますと、いろいろな政治的な意図や、いろいろな角度から、この際は領土問題はあとにして単に国交の調整だけでよろしいのだというような説さえなされておる。従って、これに対して国民は非常に迷っておる。これを明確にするためにも、これはここで今最終的な段階に当って、歯舞、色丹だけは返してもよろしいということを正式にソビエトから回答があった以上は、これに対して日本政府としては、この際――松本君は懸命に、これだけではいかぬということを言っておるようでありますけれども、政府としてこれに対してそれで満足するのか、これでは満足できないのか、この点の政府の決意を明確にしてほしいと思います。

    ○森下政府委員 お答え申し上げます。これは松本全権の主張を全面的に、かつ強力に支持するものでありますことを、ここにかたく言明いたします。
     それと同時に国後、択捉につきまして、一つここでよく御説明を申しておきます。

    ○池田(正)委員 ちょっと待ってください。つまり今政務次官の言われるのは、南千島も当然あくまでも要求する、こういう建前に立つということなんでしょう。

    ○森下政府委員 さようであります。

    ○池田(正)委員 そこでこの南千島をわが国があくまでも要求する、政府があくまでもこれを堅持していくということについては私も同感なんです。このことについては、当然わが党にいたしましても、党のいわゆる緊急政策として天下に公表してあるところであります。同時にまた政府もこれを強く要求しておるはずなんです。しかるに一体何の根拠に立って、南千島というものをわれわれは強く主張するかということについて、残念ながら一般の国民は実は御存じない。実は驚いたことには、この院内におきまして、社会党の方々は賢明だから御存じであるかもしれませんけれども、わが党の諸君も外務委員会に御出席のこれらの方々はいずれも御存じですけれども、それらに関係のないような方々は御存じない。言論界の方々も、きょうおいでのような外交専門におあずかりになっておるような方々は御存じかもしれませんけれども、他の方々に開いてみますと、いかなる理由に基いて、日本は南千島を要求するかということについて、これを明確に知っておる人に、私は今日まで不幸にして一人も出くわしておらぬ。(岡田委員「根拠がないからだよ」と呼ぶ)賢明な岡田君でさえも、ただいまかようなヤジを飛ばすほど、いかにこのことが国民の間に不明確になっておるか、なぜ一体それを明確にしないか。これは私の考えるところによりますと、当然南千島というものは歴史的に日本のものである。その根拠はどこにあるかといえば、すなわち幕末、徳川末期に千島北辺が危うく、常に騒がしかった。これを何とかしなければならぬというので、詳しくは申し上げませんが、いわゆる安政元年に下田港において調印された俗にいう下田条約の第二条においてそこで初めて当時のロシヤと日本との国境というものは明確になった。このことを残念ながら世間の一般の方々は御存じない。あの下田条約の第二条によって見ますと、これは得撫から北側がソ連の領土であって、択捉から南が全部日本の領土であるということをここに明確にした。(発言する者あり)これは諸君もはっきりしたらいい。社会党の諸君もそういうふうに知らないからヤジを飛ばす。その次の条約は明治八年の樺太・千島交換条約において明確にしておる。このことは国民が御存じない方が多いのです。これは現実です。理屈でありません。こういう歴史的な事実の上に立って、従ってロシヤと日本との国境というものは得撫島と択捉島との中間であることは明確になっておる。(「ロンドンに行ってやれ」と呼ぶ者あり)このことを外務当局はなせ一体国民に知らせない。この歴史的な事実によって――外務大臣、総理大臣の演説においても、そういう抽象的な演説によって国民に知らす努力をしていない。何というばかな……。怠慢もはなはだしいじゃないですか。そこに日本の外務省の弱体性がある。日本の外務省の役人諸君が私は無能だとは申しません。しかしながら日本の外務省の弱体は何であるか、国内情勢を知らぬからだ。君らが不勉強のためなんだ。外務省というものは何もわが党の外務省ではない、日本の外務省だ。それだからわれわれはこれを言うのだ。ここに日本の外交の弱体性がある、本質的なものがある。日本の国民はこういう問題についてどういう知識を持って、どういう感覚を持って、どういう考え方を持っておるかということに対する思いやりが諸君の中にない。これは日本の外交の最も弱体の本質的なものです。なぜこれをやらないか。外務当局はこの歴史的な事実を明確にして、国民に知らせる義務を諸君は持っておるはずだ。何という怠慢だ。外務政務次官、この点を明確にしてもらいたい。

    ○森下政府委員 サンフランシスコ条約は千島の範囲を決して決定してはおりませんし、これを放棄したようなことはないのでありまして(「その通り」)その点を……(「二条C項を見ろよ」と呼ぶ者あり)南千島は入っておりません。
      [「入ってないということを反証しろ、具体的に言えよ」と呼ぶ者あり〕

    ○森下政府委員 一応それでは今の南千島の問題のそういう誤解を解くために、ここにはっきりと一つ声明をいたします。
     この南千島、すなわち国後、択捉の両島は常に日本の領土であったもので、この点についてかつていささかも疑念を差しはさまれたことがなく、返還は当然であること。御承知のように国後、択捉両島の日本領土であることは、一八五五年、安政元年下田条約において、ただいまお述べになったように調印された日本国とロシヤ国通好条約によって露国からも確認されており、自来両島に対しましては何ら領土的変更が加えられることなく終戦時に至っております。一八七五年、明治八年の樺太・千島交換条約においても、両島は交換の対象たる千島として取り扱われなかったのであります。
     サンフランシスコ平和条約はソ連が参加しているものではないが、右平和条約にいう千島列島の中にも両島は含まれていないというのが政府の見解であります。同会議において吉田全権は択捉、国後両島につき特に言及を行い、千島列島及び南樺太の地域は、日本が侵略によって略取したものだとするソ連全権の主張に反論を加えた後、日本開国の当時、千島南部の二島すなわち択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシヤも何ら異議を差しはさまなかったと特に指摘しておるのであります。また連合国はこの今次戦争について領土の不拡大方針を掲げていたこと、また太平洋憲章、カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言はすべて過去において日本が暴力により略取した領土を返還せしめるという趣旨であり、日本国民は連合国が自国の領土的拡大を求めているものでないことを信じて疑わない。日本の固有の領土たる南千島をソ連が自国領土であると主張することは、日本国民一人として納得し得ないところであります。(後略)

    ○池田(正)委員 最後に、ただいまの御答弁でやや明確になってきましたが、実はそれだけでは私あまり感心しないのであります。ということは、つまり樺太・千島交換条約の際における条文の内容等についても、もう少し詳細に説明すべきだと私は思う。それはたとえば第三款に、この条約の中にはっきり書いてある。これは日本全権は榎木武揚、ソビエトの全権はアレキサンドル・ゴルチャコフ、この両全権によって調印された。この内容を見ますと、クーリール列島上に存する両者の権利を互いに相交換する、こういうことを書いてある。そういったことから、もう少し詳細にいくべきで、ここに第二款には千島列島のことを、第一占守島から第二阿頼度島というふうに、第十八得撫島とも計十八島の権利、こういうふうに明確に書いてある。こういうことをもっと詳細に国民にわかるように、外務当局はこれを知らす必要がある。そういうことを諸君はやってない。それから今の千島という概念、これはどこからきておるか。なるほど明治以後の行政区画として、今の歯舞、色丹だけは北海道という行政区域に便宜上入れた。南千島のこの二島は、便宜上千島という行政区画に入れたというところに社会党の諸君などは錯覚を起している。そういうところに誤解の根源があったように思う。従って南千島と北千鳥と同じじゃないかという概念を国民が抱いておる。日本の国民にそういう考えを抱かしめておいて、そうしてソビエトに向ってそれをよこせ、返還せよ、これは無理なんだ。そういう感覚で諸君が外交をやったんでは外交が成功するはずがない。いやしくもわが党は、南千島を断じて要求する、一歩も譲らぬということを天下に声明しておる。それに従って政府もそれを声明しておるはずでありますから、あくまでもこれを堅持して、どこまでも一歩も下らぬという態度をもって今後臨まれんことを私は切に希望いたしまして、私の質問を打ち切りたいと思います。

    ○穗積委員 関連して一問だけ。実は日ソ交渉における領土問題については、私は重光外務大臣に今まで二回にわたってお尋ねいたしております。しかしそのたびごとに時間が制限されておりまして、いまだ質問の継続中の状態にあるわけでございます。本日も外務大臣が出席されたならば、ぜひその点をお尋ねしたいと思っておったのですか、こまかいことについては、外務大臣が次会に出席される約束ですから、そのときにいたしまして、きょうは一問だけ政務次官にお尋ねしたい。
     第一にお尋ねしたいのは、いろいろな順序がありますが、われわれの考えでは、終局的には南樺太、千島全体にわたって領土権の要求をすべきであるというふうに考えております。ところが政府は、ソビエトとの交渉において、南千島だけで最終的に打ち切られるつもりであるかどうか。それが一問。それから第二には、もし北千島その他についても、領土権をいろいろな順序を踏んで交渉されるつもりであるならば、なぜ一体北千島と南樺太をサンフランシスコ条約で放棄されたか、その理由を明らかにしてもらいたい。この二点を一括してお尋ねします。

    ○森下政府委員 ただいま申されましたそのほかの島は、国際的な機関を通して解決したいと思います。

    ○下田政府委員 桑港条約におきまして、日本は千島、樺太に関します一切の権利、権原等を放棄するということをいっております。それはまだ連合国側の間におきまして、その最終的帰属についての意見の一致を見ないので、とりあえず日本だけは権利を放棄するということを宣言させるという、何と申しますか、中途半端な領土問題の解決をせざるを得なかったというのが、桑港会議当時の情勢であったのであります。(「桑港条約なんてやめたらいいじゃないか。なぜやったんだ。なぜ放棄すべからざるものを放棄したんですか」と呼ぶ者あり)。ポツダム宣言におきまして、われらの決定するというところに日本は従って、領土問題の処理を向うの決定に一任したわけでございます。でございますから、桑港会議におきましてもう文句を言えない立場に、日本は降伏の際からあったわけであります。ところがその決定なるものが、最終的の決定に到達しなかったのであります。日本の手から一応とるということだけの決定しかできなくて――通例の平和条約におきましては、領土の処分については、何々国のために譲渡するなり、放棄するなり、そういうことを書くことが普通でありますが、桑港会議のときにはそこまでできなかった。連合国側の意見が一致しなかったのであります。そこで半分しかきまらなかった。〔「一致するはずがない」と呼び、その他発言する者あり〕

    ○下田政府委員 一致するはずはないのであります。ですから今日になりまして、なぜ桑港条約を受諾したのかということを提起されましても、これは終戦の経緯にかんがみまして無理なことであります。
     それからもう一つ、先ほどの件に関連して言えますことは、クーリールといいまして、クーリールなるものの範囲も、これも連合国間で何ら意見の一致を見ていないのであります。従いましてその意見の一致を見ていないクーリールなるものの範囲について、固有の日本の領土たる国後、択捉はクーリールに含まないと言うことは、日本の自由なりということになっているのであります。であるとするならば、今日日本が、最終的の領土処分を行いました平和条約がない以上は、日本の利益に従ったところを最大限まで主張するということは、これは当然のなすべき処置であると私は考えます。

    ○穗積委員 ただいまの外務省当局の御説明ははなはだしくあいまいであって、そんなことで領土問題が国際的に解決できるなんと思ったら、大間違いだとわれわれは思う。だからわれわれは、あくまでやはり終局的には千島列島全体と南樺太について領土権を主張すべきだと思う。それには正当なる国際条約における論理をもって当るべきであって、因縁情実をつけて、そういうことで交渉すべきではないとわれわれは思う。従ってただいまの答弁ははなはだわれわれは納得することができない。ということは、日本の利益のためにという、そのような論理では国際的に通用いたしません。ですからその答弁についてははなはだしく不満でありますが、きょうは開進質問でございますし、責任者であります重光大臣もおられませんから、この問題についての質問は留保いたしまして、私はきょうは打ち切ります。


     なんで地理解釈を変えるのよと思うんですが。変えたって対外的に承認貰えてないなら、意味ないし。これって、例えるなら1つの山があって、南斜面の真ん中に谷があって、その西側はこっちの土地、残りは隣の家の土地だった。それが土地交換で山全部がこっちのモノになった。そのあと隣家とごたごたして裁判になり、判決で「山の所有権は全部放棄する」となって納得の署名もした。そのあと「やっぱり南側の昔持ってた土地はこっちのものだ」と言い出してるようなものです。あげくには、講和条約で放棄したと署名して国会承認までしたはずの南樺太とか千島全体を取り戻せとか、いったいなにを考えているのかと。昭和も30年代に突入して、世の中をなめ出したのか日本政府。こんなロジックどうやって通用するというつもりですかね。

     しかも、「得撫島と択捉島の間で旧の国境の水道あるんだから、そこで南北に切って考えて何が悪い」とかいう発言が、4島返還の核のようですが、要するに戦争で元からあった分も懲罰的に取られたんですよ。戦争に負けて取られたんです。あの当時のソ連政府から2島返してやると言われただけでも大盤振る舞いですね。カイロ宣言だろうがポツダム宣言だろうが、双方のサインがなければ、契約なんて成立しません。条約というのは国家同士の契約なんです。そもそも、日ソ共同宣言までは、日本とソ連は第二次世界大戦の講和してなかったわけだし。

     ただ、日ソ共同宣言で「平和条約締結後に2島返すよ」と言われたのを4島にこだわりながら日本政府は50年以上放り出していたわけです。それでメド氏に「国後はロシア領」と言われちゃうわけです。そういうことからいうと、外務省と自民党のサボタージュは国賊モノともいえます。ソ連崩壊時に資金援助と引き換えに、正規の2島+資金代金の2島貰えばよかったのに、ダラダラと変な投資ばかりしてるから.......ブツブツ。
     むろん、このAPECでの日露首脳の顔合わせでも、政府と民主党もうろうろしてて腰が引けてるの丸分かりですから、メド氏としては「これなら自民党より御しやすい」と思ったに違いないでしょう。

     ここらへんの地図と思ったんですが、グーグルマップじゃちょっと見難いので千島列島の地図付きで、「千島の概念」を詳しく解説してくれてるサイトを見つけたので、こちらの地図も片目で見つつ、議事録読んでみてください。

    国立国会図書館・国会会議録検索システム



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北方領土と大陸列強の陣取り合戦(その1) とはずがたりblog/BIGLOBEウェブリブログ
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